■ 少年王者舘

 1982年、天野天街少年王者(舘)を旗揚げ。
 名古屋では七ツ寺共同スタジオを中心に公演。'84年からはタイニイアリス、ザ・スズナリなどで東京公演を行う。
 東京黄昏団(トウキョウ クレナイダン) など関連公演も多い。






山川惣治/1948
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 映像・照明・音響などに独特の手法を用い、オリジナルの音楽や振付と相まって、独自の言語感覚に彩られた世界を展開している。遊技性に富んだ仕掛けと、戦後昭和の風景を彷彿とさせる舞台美術がその魅力を補強している。

  アマノテンガイが宣伝美術を担当し、愛知県一宮市の貸本屋で育んだ濃密な美学を、近年では円環系店に設置された天然色応対複写機を駆使し追究している。
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■ 椎名KANS来る

 1988年の第13回公演『御姉妹』から、椎名KANSが音響スタッフで入舘。愛知県出身。

 '92年11月には、七ツ寺共同スタジオ創立20周年を記念して、維新派てんぷくプロと合同で、壮大なる野外劇『高丘親王航海記』(原作=澁澤龍彦/白川公園) を上演。観客は寒さに凍りつきその世界は脳幹に焼きついた。出演は、石丸だいこ/松本雄吉ほか。牛も出演。
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■デザイン=テンガイ&カズトオ
■ 戸崎来る

 1993年の第19回公演『キニエリ』(再演)から、戸崎が音響スタッフで入舘。岐阜県出身。天野天街より戸崎数子と命名される。
 '94年、初めて大阪扇町ミュージアムスクエアで公演。大阪行きには予防注射が必要と言われて本気にする。'98年以降年1回の大阪公演。

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■ 少年王者舘 × プロジェクト・ナビ

 1995年5月に、プロジェクト・ナビの衣裳を担当していた石田佳代子の野外作品発表会『Sou Venir』(演出=天野天街/鶴舞公園) が催される。この時ナビの音響スタッフと、王者舘の音響スタッフが出会う。ファッションモデルは、伊沢勉/小林正和/G.茶所/ジル豆田/珠水/佃典彦ら。

 '96年4月、『最後の淋しい猫』(作=北村 想/演出=天野天街/七ツ寺共同スタジオ) が上演される。KANS、戸崎がマナコプロジェクトに加入。
 外部の仕事が増えつつあったKANSは、これを機に退舘。以後外部スタッフとして参加。


■ 目つけて名づける

 1997年、藤田はJIS企画の名古屋市民会館公演の折、ノノヤマの紹介で KANS・戸崎の両名と会う。打上げの席上 "音の女" の意を込めて戸崎おとめと命名。対立候補の "戸崎グルメ" は却下され、本人安堵する。立会人は舞台監督の青木義博。
  椎名は "カンヅメ" を命名するも、"KANS" が定着しており普及せず。

 '98年『劇終−OSHIMAI−くだんの件の台北・香港公演。KANS・戸崎初の渡航。大使館でパスポートがもらえると言われ本気にする。'99年戸崎退舘、以後外部スタッフとして参加。'99年北京、'00年広州、'01年釜山と中国公演が続いた。多数が腹を壊すなか天野天街一人は平気だった。

 '01年KANS『ゴドーを待ちながら』(演出=串田和美) の音響プランを担当。'03年まで全国巡演。

■ 戸崎おとめ/上京

 戸崎は、藤田プランの『悪霊』(演出=松尾スズキ/'01) の九州・大阪公演で、音響オペレートを担当。以後『業音』(演出=松尾スズキ)や『ハイ・ライフ』(演出=流山児祥/'03) などを担当。

 '03年KUDAN Projectの『真夜中の弥次さん喜多さん』(原作=しりあがり寿/演出=天野天街) の北京・ハルピン・重慶公演の音響プランを担当。出演は、小熊ヒデジ/寺十吾。

 '05年には、『百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん』(愛知県勤労会館) の音響プランを担当。初日は40分遅れで始まり、プロデューサーは白髪を増やす。

(つづく…)

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● 関連サイト: 少年王者舘ノ函少年王者舘公式KUDAN Project

※参考文献:『OMSとその時代』 (ぴあ 2003)

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