manako2
■『寿歌』 (ほぎうた)

 『寿歌』(作・演出=北村 想)は、1979年12月に、T.P.O師★団により、名古屋の座・ウィークエンドと鈴蘭南座で初演された。
 初めて女性を主人公とした戯曲で、女優の練習用にと書かれた。出演者を春・夏・秋・冬の4組とし、キョウコ役は4人の女優が務めた。火田詮子/矢野健太郎/赤染歌丸/おかち以蔵らが出演。

 翌'80年には、東京・浅草木馬亭/大阪・阪急ファイブオレンジルーム/名古屋・七ツ寺共同スタジオで上演された。初の旅公演であった。

[あらすじ]

hogiuta
kato

 『寿歌』は1982年2月に、オンシアター自由劇場が俳優座劇場 (演出=串田和美)で、加藤健一企画が紀伊國屋ホール(演出=大杉祐) で、同時期に上演され、一躍注目を集めた。

左より、加藤健一 三輪裕美子

 戯曲は、『不思議想時記』('80 プレイガイドジャーナル名古屋) に収録。『北村想の劇襲』('82 而立書房)、『不思議想時記 オリジナル版』('83 北宋社)に再録。後に英訳『Ode to joy』('89 而立書房)、ロシア語訳された。

 『寿歌』は北村想の代表作になると共に、'80年代を代表する戯曲の一つになった。基調は「明るい虚無感」(北村想)。

寿歌の音響

fushigi

hogi2

■『寿歌 II』と『寿歌西へ』

 『寿歌』は、『寿歌 II』(七ツ寺共同スタジオ/'82)、『寿歌西へ』へとシリーズ化された。『寿歌西へ』は'85年9月に彦根城・西の丸公園で、彦根城を背景に上演された。ポスター・チラシの絵は赤瀬川源平。

 
『寿歌』は配役を替えながら伊丹AIホール('88)/青山円形劇場('90)/新国立劇場小劇場('98) などで再演された。

寿歌と戦争

左より、小林正和 神辺 浩

■ 岸田戯曲賞

 1984年北村想は『十一人の少年』で第28回岸田國士戯曲賞を受賞。
曰く「足の裏のご飯粒と一緒。もらっても食えない。」

 山の上ホテルで行われた授賞式当日は大雪。名古屋からの受賞者一行は大遅刻。着いた時は既に式は開会。別役実の祝辞中に、食事にがっつく有り様。初めて食するマリネが酸っぱいので、刺し身が腐ってると言い出す始末。後見役のKは選考委員の田中千禾夫本人を目前に、こんなチビとは知らなかったと暴言。このことと関係あるかどうかは不明なるも、以後中部圏からの受賞者は、2006年の佃典彦を待つこととなる。

  '85年、北村は流山児事務所に『蒼い彗星の一夜』(演出=竹内銃一郎) を提供。当初予定していた書下ろしの『けんかエレジー』が著作権者から上演不許可になったため、'81年の第2次演劇団旗揚げに書いた戯曲を改訂。当時は珍しかったプロデュース公演だった。木場勝巳/美加里/有薗芳記らが出演。藤田は音響を担当。

11nin
nishie2

■ 彗星'86/解散

 解散公演に予定していた『寿歌西へ』の名古屋公演はキョウコ役の急病により中止。計画していた2月9日のハレー彗星の近日点通過を待たずして、彗星'86は1月に解散した。
 芝居で食べるという当初の目標は達成出来なかった。内部的な要因もあったが、名古屋という地方都市においては、困難な状況だった。



※参考文献 :『青空と迷宮』 安住恭子 (小学館スクウェア 2003)

yurai1234top