2003年3月16日大阪扇町ミュージアムスクエアは、最後のイべント「4時間でOMS18年間を飲みしゃべる」を開催し、18年の歴史の幕を閉じた。10周年を記念して『呼吸する劇場』が出版されたのが1995年。あれから8年が経った。
■ 正宗屋
舞台にはゆかりの居酒屋「正宗屋」を模したセットが作られ、店主役の小堀純
(劇の宇宙・編集長) がゲストを迎えるという趣向。最初に照明がつくと店員姿の小堀氏が台拭きで机を拭いており、場内の笑いを誘った。飲みながらの進行となり、店主の役目を最後まで果たせるか危惧する向きもあったが、初代プロデューサーの津村卓らの助力を得て完走。最後に石原吉郎の詩『世界が滅びる日に』を朗読。
リハーサル風景
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■ ゲスト
内藤裕敬/いのうえひでのり/松本雄吉/土田英生ら関西の演劇人・関係者はもとより、東京からは流山児祥/深沢敦/近藤優花らがゲスト出演。生田萬は遅れての到着、筆も遅いが来るのも遅いと突っ込まれていた。切れもユーモアもある発言をしていたが、前歯が抜けており説得力を欠いた。
3部構成の座談会は編年風に纏められ、18年の歴史を回顧した。
当日の模様
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客席は一般客・元スタッフを含め、200名余りが詰めかけ満員。10周年を記念してぴあ関西支社が贈った座布団も最後の奉公となった。遠来の西堂行人/二村利之(七ツ寺共同スタジオ)/佃典彦/はせひろいちらの顔もみえた。報道陣に混じって写真を撮っていたのは谷古宇正彦。OMSのスタッフは、受付・進行・配膳・照明・音響と大忙しであった。
■ 時代
入れ代わり立ち替わりのゲストは50名を越えようか。時代を下りながらの進行、なかでも開館前後のエピソードは面白可笑しく興を誘った。大阪ガスの担当者・企画委員・初代支配人ら当時20代〜40代だった人達も、今は40代〜60代。川村毅の手紙、永作博美のビデオレターも紹介された。中島らもは欠席。
ribbon時代に出演の永作博美 |
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途中飲みつぶれた人は、「奥座敷がご用意できております」と言われ拉致されていった。東大ブレークダンス部出身で現マネージャーの山納洋によるパフォーマンスが異彩を放っていた。と言うか浮いていた。
扇町ミュージアムスクエア/フォーラム |
■ 終幕の映像
最後は、天野天街作のクロージングの映像が流れ、スタッフの挨拶で幕を閉じた。振り袖を涙で濡らした人もいた。映像の間に、セットは撤去されており、明かりがつくと舞台は空っぽという演出。
万雷の拍手が鳴った。
終演後はその場で飲み会となり、大勢の人が名残を惜しんでいた。
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■ さようならOMS
ブリキの自発団/プロジェクト・ナビ/OMS戯曲賞プロデュース公演など、私にとってもゆかりの深い劇場でした。 時代の流れを感じました。
スタッフの久保さん増田さん、長い間お疲れ様でした。
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ありし日の扇町ミュージアムスクエア外観
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(ステージ・サウンド・ジャーナル 2003年4月号より)
※『OMSとその時代―柱のある劇場―扇町ミュージアムスクエアの18年』が「ぴあ」より2003年10月に
刊行されました。