■ 音盤紹介
『竹田の子守唄 ─名曲に隠された真実』(CDブック)

 『竹田の子守唄』、名曲である。元歌は京都地方の民謡である。発祥は明治中頃と思われる。東京芸術座公演『橋のない川』(1965) の劇中でその旋律が使われたのが、事の発端である。世間に広まったのは、フォークグループ「赤い鳥」(1969−74) の大ヒットによる。1974年には、NHKのTV番組『みんなのうた』でも放映された。歌はペドロ&カプリシャス。

 ところがその後奇妙なことが起こる。放送から消え、赤い鳥のベスト盤からも除外されたのである。カップリング曲の『翼をください』は無事である。歌詞に「早もゆきたや この在所こえて むこうに見えるは 親のうち」とある。問題は「在所」である。

 在所には「郷里」とか「田舎」といった意味があるが、京都では別の意味がある。「被差別部落」である。差別を喧伝する歌であれば、そういう事が起こるのも頷ける。だがそうではない。部落生まれの歌であるというだけで、前出の措置が取られたのである。
 この論法でいくと、ジプシー (ロマ) の音楽は全て放送不能となってしまう。しかし事態は複雑である。元々題名も無く歌い継がれてきたこの歌の辿る道は、曲折する。
takeda赤い鳥『竹田の子守唄』

日本の歌シリーズ・第8集

 子守唄には大きく分けて三種ある。「寝させ唄」「遊ばせ唄」「守り子 (子守り女) 唄」である。前二者は子供をあやす唄で、後者は守り子が自らを慰撫する唄である。子供の労働歌だ。『竹田の子守唄』も然りである。

 江戸後期から昭和前期にかけて、子守の多くは少女たちの仕事だった。若くは6〜7歳である。奉公の場合も多い。貧しい家の子が、安い対価で雇われたのだった。

 夏の日も冬の日もこの労苦は続く。子供を背負ったまま、水汲み、雑巾掛け、風呂炊きもせねばならぬ。その辛さは尋常ではなかったであろう。怨嗟や悲憤や望郷の念を歌にし、鉾先は時に背負う子や親方に向けられた。日本の子守歌に暗い色調のものが多いのはそのためである。『五木の子守唄』(熊本) もその典型である

 『竹田の子守唄』が漸くCDで発売されたのは1999年。本書は丁寧な取材と考察で、経緯と問題を掘り下げる。付録のCDには、赤い鳥の歌と元唄など三篇が収められている。

※参考文献:『放送禁止歌』森 達也 (解放出版社 2000)

書名
竹田の子守唄
著者
藤田 正
発行所
解放出版社
発行日
2003年2月2日
判型
A5判 180頁
定価
2,200円 (税別)
ISBN
4-7592-0023-1

(aip 18号より・2011年12月)