■ 書籍紹介
『スクープ音声が伝えた 戦後ニッポン』 文化放送報道部 監修

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 本書の主役は付録のCDである。1958年の「赤線が消えた日」から1997年の「神戸児童殺傷事件」まで、33トラック約72分の音声が収められている。実音源と西山弘道記者のナレーションとで構成されている

 文化放送 (JOQR) はラジオ東京 (現TBS) に次ぐ東京で2番目の民間ラジオ局として、1952年に開局。以来蓄積された膨大な音声資料の中から選ばれた40年間の音の記録である。戦後60年・ラジオ放送開始80年を記念して出版された。

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 ドキュメンタリー音源は、LP時代にはよく出版されていた。代表格は、1972〜73年に、日本コロムビア発売の『激動の昭和』である。戦前・戦中・戦後の3編合わせてLP24枚の大作である。音源提供はNHK、ナレーターは宮田輝。70年代はこの手のレコード出版が盛んであった。1975年が昭和50年という節目であったことも影響した。録音技術の発達と時代背景もあったであろう。1976年に国内のアナログ・ディスクの生産量は最大を記録し、その数約2億枚である。

 CDの時代になると、この分野は減退し、今や記録メディアの主流はDVDに移って仕舞った。20世紀の終わる2000年には企画物が続々と出るのではないかと期待したが、外れてしまった。そういう点からも本書は意義深い。
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ichigaya旧 市ヶ谷1号館
(1999年に記念館として一部移築された
)

 一番の特ダネは、三島由紀夫の最期の声である。1970年11月25日午前、三島は自ら主宰する "楯の会" の4名と共に西武百貨店謹製の制服に日本刀を携え、市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地東部方面総監室へ。総監を人質に立て篭り、阻止しようとした自衛官8名に斬りつけ負傷させる。総監室前のバルコニーから、幕を垂らし、檄文のビラを撒く。"七生報國" の鉢巻をした三島は、要求して前庭に集めた800人の自衛隊員を前に演説をする。これを全部録音したのは、文化放送だけだった (本書は抄録)。

 駆けつけた記者は、バルコニーの直下からマイクロホンを木の枝に縛りつけて差し上げ、デンスケで録音した。初めのうちは声の主を視認できず、それが誰かさえ分らなかったという。編集に備えビラを千切って録音テープの間に挟み目印にしたという。


  これとは別音源だが、事件の翌月『嗚呼三島由紀夫』と題するLPがキャニオン・レコードから発売された。自衛隊の覚醒と決起を促す三島の絶叫が聞かれる。飛び交うヘリコプターの音と自衛隊員の罵声の中、30分を予定していた演説は、7分半で切り上げられる。三島と介錯人の森田必勝の割腹自殺後に解放された益田(ました)総監の声や、当日のニュース速報などが収録されている。また同月、朝日ソノラマ臨時増刊『三島由紀夫の死』(ソノシート2枚付) が発売され、事件直後の記者会見における生々しいやり取りや、川端康成の談話等が収められている。

  三島はこの日遺稿となった『豊饒の海』の第4巻『天人五衰』の原稿の最後に「完。昭和四十五年十一月二十五日」
と追記 (縦書き) した。この日、小説の主調である "転生" と自らの "死" が交錯した。享年45歳。

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三島事件    play その1 play その2 play その3

書名
スクープ音声が伝えた 戦後ニッポン
監修
文化放送報道部
発行所
新潮社
発行日
2005年7月30日
判型
A5判 96頁
定価
2,800円 (税別)
ISBN
4-10-478001-4

 引っ掛かるのは、題名に「ニッポン」とカタカナ表記してある点だ。これでは「日本」の語源である「ひのもと」と断絶してしまう。「戦後ニッポン」は従前の「日本」とは別物であるとの三島の思いに掛けた編者の皮肉であろうか。
 発行は全集を発行し三島由紀夫賞を主催している新潮社。


※参考文献:『三島由紀夫と楯の会事件』保阪正康 (角川書店 1980)
      『三島由紀夫の生涯』安藤 武 (夏目書房 1998)

      『小説三島由紀夫事件』山崎行太郎 (四谷ラウンド 2000)

(ステージ・サウンド・ジャーナル 2006年3月号より)