■ 書籍紹介
劇場建築とイス 客席から見た小宇宙 1911−2018』

 

 演劇やコンサートを観賞して記憶に残るのは、場面だったり俳優だったり音楽だったりと、その時々で様々です。帰り道のおしゃべりを覚えていることもあるでしょう。それに比べて客席の椅子を思い出すことはあまりないように思います。

 本書はその椅子にスポットライトを当てています。1911年 (明治44) 竣工の帝国劇場から2018年開館の札幌文化芸術劇場まで、国内の57館の劇場・ホールの客席を、カラー写真約500点で紹介しています。

 多くは開館前に撮影され、無人の客席を様々な角度から捉えています。椅子は劇場ごとに設計されるので、形状・材質・色は千差万別です。座・ひじ当て・背・脚の造りも一つとして同じものはありません。木・布・金属・ポリウレタン(昔は馬の毛や藁(わら)) など種々の材料を、巧みに組み合わせて造られます。

 

 白色以外は何でもありで、暖色系・寒色系・無彩色系といろいろです。茶系の落ち着いた色合いから、赤・紫・青のような高彩度の色まで幅広く選択されます。遠目には単色に見えても張り地に細かい模様があったり、経糸(たていと) と緯糸(よこいと) の色味が違ったりしています。

 必ずしも全席が同色ということはなく、東京文化会館大ホール (1961年開館、1995/2014年改修) では基調は臙脂(えんじ) 色ですが、1階席後方から上階に掛けて、黄・青・黄緑色の椅子が点在しています。花畑を模しており、空席を目立たせない効果もあるそうです。

 現代では座席が劇場にあるのは当り前ですが、"芝居"の由来が見物人が座った芝生であることからも分かるように、劇場の座席は近代の産物です。芝居小屋の桟敷においては自らの意思で選べた観衆の身体の向きは、座席によって半ば強制的に舞台の方向に導かれたわけです。


東京文化会館

●目次
 1章「施主の時代」から新しい展開へ 1911−1989
 2章「芸術家の時代」の開花 1990−1998
 3章「観客の時代」の始まり 2000−2010
 4章「創客の時代」へ 2011−2018

島根芸術文化センター
 音響面から座席をみると、一番はその吸音特性です。椅子の吸音力は劇場やホールにおいて30〜50%を占めており、その影響は重大です。
 着席時と空席時の吸音特性が大きく異なると、満席時と空席時の残響時間が大きく変化します。その差を小さくするように設計されるのが普通です。着衣の人体は500Hz以上の高域を吸収し、一般的には着席時の方が残響時間は短くなります。

 同じ体積の空気が人体に替わるということの影響も見逃せません。天井の低い客席ほど影響は増します。満席時に音圧レベルが下がるのは多くの劇場・ホールで体験するところです。

 また列状の椅子は音に対して一種の防波堤のような働きをします。複雑な形状の同型の椅子の規則的な配列は床面の性状と相まって、特定の周波数に影響を及ぼします。100〜200Hz近辺が大きく低減することが知られており、座席による過剰減衰効果*と呼ばれています。椅子を千鳥に配置した方が諸々の影響は緩和されます。

 吉井澄雄・串田和美・草加叔也の各氏らが巻頭に文章を寄せています。

 企画・監修のコトブキシーティングは、1914年創業の壽商店が前身で、劇場・映画館の座席やスタジアム・駅のベンチ、カプセルベッド等の製造販売を手掛けています。移動式観覧席 (ロールバック・チェアスタンド) の開発メーカーでもあります。

 姉妹書に『学校建築とイス 新しいラーニングスタイルへ』(2016年刊) があります。

書名
劇場建築とイス
企画
コトブキシーティング・アーカイブ
発行
ブックエンド
発行日
2019年12月3日
判型
B5判変形 264頁
定価
3,000円 (税別)
ISBN

978-4-907083-56-4

(ステージ・サウンド・ジャーナル 2020年5月号より)