劇場で演じられる数時間の演劇作品、その背景には客席から直接見えない領域がある。それは裏方の立振る舞いや舞台裏の空間に限らない。
 演劇の背後はどこに繋がっているのか? それは、社会であったり宇宙であったりあの世であったり千態万様である。逆に言えば、繋がり得るあらゆるものの中から、何を選択しいかなる手つきで扱うかが、その作品の個性となる。

撮影=テクニカル・アート 

backstage
【世界の演劇史の一般的傾向】
 
萌芽期
形成期
成熟期
性格
秘儀祭祀
宗教的
世俗的
目的
呪術・宗教
仲間意識の確認
娯楽・営利
場所
聖域の中
聖域の周辺
世俗の劇場
演者
聖職者
聖職者・信徒
職業的芸人
対象
神・祖先
信徒集団
一般個人
台詞
呪文的
叙事的
代言的
劇音楽
斉唱的声楽
声楽中心
合唱的声楽
気鳴楽器中心
単唱的声楽
弦楽器中心
『季刊中国』1995年秋季号より  加藤 徹


■ 光学装置としての演劇

 「あらゆる事象は光の現象である」と仮定すれば、演劇は数多の光を選択透過変質して視覚可能な形で提示する光学装置である。望遠鏡や分光器や幻燈のどれをどう組合せるかは、作り手のの裁量である。観客はこの光学装置で何を観ずるのか。

 いささか唐突だが、中国文学研究者の加藤徹氏作成の【表】を引用する。演劇史に劇音楽が含まれているのが特徴だ。


■『ぬけがら』の音響

 2005年5月に文学座のアトリエ公演『ぬけがら』の音響プランを担当した。作は佃典彦。氏は名古屋で劇団B級遊撃隊を主宰している。1988年の名古屋文化振興賞受賞作の『審判』(演出=北村想)からの付合いである。演出は松本祐子。偶然だか、私を含め3人とも名古屋で暮らした経歴がある(佃氏は現役)。作品の舞台も名古屋である。

 作家自ら〈私戯曲〉であると言うように、登場する父親像は本人の体験に基づいている。主人公は妻から離婚を迫られ、生活が難渋している中年の男。実家の県営住宅。母親が亡くなって間もない。正面に仏壇。ある夜80代の父親は「ぬけがら」を残して居なくなってしまう。そして、20歳も若くなって現れる。

 男は、何度も脱皮しては若返る父親と対面する破目になる。終には父親の方が自分より年下となってしまう。交流を通じて男は自分を再発見し、他者を肯定する境地に至る。終幕父親達は揃ってあの世に旅立って行く。〈ぬけがら〉は〈なきがら〉に通じる。〈死戯曲〉でもある。

※ 原作は2004年にNHK名古屋制作の同名のラジオドラマ。

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撮影=飯田研紀

■ 現実と虚構

 6人の父親を年相応の6人の男優が演じる。冷蔵庫から婚前の母親が出てきたり、家族全員でハワイアンを歌い踊る場面があったりする。曲はKONISHIKIも歌っている『マイ・イエロー・ジンジャー・レイ』。現実と非現実が交錯し、此岸と彼岸を往来する奔放さは佃戯曲の真骨頂だ。妻、浮気相手の同窓生、葬儀屋の女社員と、女性の配置も巧妙だ。何より着想が奇抜である。

 ナンセンス=〈あり得ないこと〉がこの芝居の基調にある。常識=〈あり得ること〉から発想すると、足元をすくわれてしまう。出来事は非日常だが、この作品の世界において、それは〈異常〉ではなく〈正常〉なのである。

■ 管楽器の吹奏

 管楽器中心の音楽を使いたいと、演出家から提案があった。死者の葬送や鎮魂ではなく、明るく祝祭的な音楽がいいと言う。同感だった。ただ終幕たけは、別の色合にしたい。

 管楽器は奏者の息遣いが伝わる。楽器学上ハーモニカ等と共に
、上の【表】にもある気鳴楽器に分類される。〈息〉は語源的に〈生き〉に通じる。ラッパの吹奏は葬儀などの儀礼でも使われる。ニューオリンズのジャズ葬におけるブラスバンドはその一例である。〈生き〉の対極の〈死〉を祀るのに、ラッパや法螺貝が使われるのは、偶然ではないようだ。中国やヴェトナムでは葬儀にチャルメラが鳴らされる。モンゴル人骨の笛 (カンリン) や西洋のパイプオルガンも然りで、どれも気鳴楽器である。

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■ 昭和史

 開演前の客入れ時に流す音楽を、歌謡曲で編年にと、演出家から提案があった。父親や家族の歩んだ時代を音楽で表す趣向である。開場から開演迄の30分、この間に1940年から現在までの60年の歳月を表すのは難しい。せめて開場を2時間前にできないものかと願ったが適うべくもない。

 出演者の中に忌野清志郎のファンがおり、『パパの歌』(1991) を採用。歌謡曲だけでは物足りず、テレビ番組の主題歌やニュースなどを織り交ぜた。名古屋に因む、「大須ういろのCM」や「中日ドラゴンズ優勝」の実況等も採入れた。作劇の手法はナンセンスだが、背景は昭和史に繋がっている。

  play  大須ういろの歌


※参考文献 「中国劇音楽の変遷についての比較音楽学的検討」加藤 徹 『季刊中国』1995年秋季号

(悲劇喜劇 2005年10月号より/特集=舞台の裏の物語)

※ 佃典彦氏は本作で第50回岸田國士戯曲賞を受賞した。
 
2007年5月に文学座本公演として再演された (於サザンシアター)。