この稿を書いている2003年5月から6月は、文学座アトリエ青山円形劇場ザ・スズナリ駅前劇場旧真空鑑アトリエと小劇場での仕事が続いている。育ちが小劇場なので居心地は悪くない。

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 一口に小劇場と言っても、形態・空間・特性はまちまちである。先の中で最も古いのは文学座アトリエ、1950年の開設で稽古場兼用。一番小さいのは旧真空鑑アトリエで座席数約40席。ザ・スズナリと駅前劇場は本多劇場系列の個人経営である。青山円形劇場はその名のとおり円柱形で床が昇降する。アナウンス嬢がいるのはここだけだ。何れの劇場も客席は固定されておらず、公演の都度並べられる。


■ 小劇場

 客席数300以下の劇場は、東京だけでも優に百を越える。右の【表】は小劇場の設立をまとめたものだ。元来小劇場は商業演劇や新劇に対抗して現れた演劇活動で、客席の多寡で区分される性格のものではない。

 かつて「大きい事はいいことだ」と絶唱する品のないテレビコマーシャルがあったが、かといって小さい方がいいかというとそんな事はない。善し悪しである。

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山本直純/1967

【東京都内の主な小劇場の開設】2012改訂

※【参考資料】『現代演劇のフィールドワーク』 佐藤郁哉 1999
「ぴあmap ホール・劇場・スタジアム 首都圏版」2001
La Sensシアターリーグシアターガイドほか、 関係各方面への調査
■ 奇跡のちり紙交換 (1984/4・名古屋名演会館)

 北村想=作・演出『十一人の少年』の再演。エンデの『モモ』に取材した作品で、この年の岸田國士戯曲賞受賞作である。
 『モモ』を音読するうちに、舞台は物語の世界へと引きずり込まれてゆく。終盤で現実の世界に戻るのだが、この暗転中に、"偽札事件のニュース" を流した。初演の稽古中に、楽屋のテレビでたまたま流れていたものを録音したものだ。劇中で模造品のお札を使っていたのと、偽札という虚実の狭間の存在が、現実と虚構を往来するこの芝居に相応しいと思ったからである。

『モモ』訳=大島かおり
岩波書店/1976

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 本番中の操作も自分でしていた。ステージを重ねて飽きてきた頃だった。別の仕事で用意していた "ちり紙交換の音" が、手元にあるのを思い出した。現実に引き戻す音であれば、これでも可だ。受けの芝居もない。みんなを驚かしてやろうという悪戯心が自制心を上回った。

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 オープンテープを掛け替えて、再生ボタンを押した。「ご家庭でご不要になりました新聞紙などありましたら‥‥」という声が流れた。暗転が終わって照明が点いた。驚いたのはこちらである。何と舞台上の川の土手の向こうをちり紙交換のトラックが走っていたのである。大きさも距離感もぴったりだった。

 驚きと嬉しさの入り交じった感情だった。俳優Sの舞台袖に放置されていた看板状のトラックを持ち出しての早業だった。関係のないものだが、客に違和感はなかっただろう。翌日は "偽札事件のニュース" に戻した。

 このSはその後ある出来事に遭遇する。ある日知人の女性と名古屋の街を歩いていた。人妻で妊娠7ヵ月だった。すると女は言った。「あなたの子よ!」途端Sは全力で走り出した。不意の音声に反応する機敏さは生来のものらしい。歩道・車道・歩道橋を駆け抜けアパートに戻ると、件の女が立っていた。「お帰りなさい、遅かったわね。」と女は言った。Sは交換不能の事態である事を覚ったのだった。

 この時の模造一万円札は今も1枚手許に残っている。モノクロコピーに色鉛筆で彩色してある。折り目も付いている。小劇場は濃密にして細密である。

zeroen赤瀬川源平『大日本零円札』/1967

■ 竹輪の変身 (1992/1・東京シードホール)

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 渡辺えり子=作、内藤裕敬=演出『花々の眠る部屋』。花屋の店員が擬人化した花々の回想に巻き込まれる幻想の世界。花を音楽で表すのは難しい。そこで、花に付き物の鳥の声の入った音楽を多用した。この手の音楽は案外多い。鳥の声を表す楽器の多くは笛である。

 高田みどりの『アンリ・ルソー氏の夢』、梁銘越(David Mingyue Liang)の『花の夢』などを使用した。どちらも曲名に<夢>が付く。この作品に合いそうだ。

『夢』アンリ・ルソー/1910

 正月の東京公演仕込の日である。照明スタッフが、天井の格子の上に何か小物体があるのを発見した。回収するつもりが誤って下に落とした。客席の絨毯に当り、包装が破れて中味が飛び出た。何とそれは腐敗して液状化した竹輪だった。猛烈な異臭が立ち込め大騒ぎとなった。

 何でこんなところに竹輪が?! 謎は直ぐに解けた。前年12月に中島らも率いるリリパットアーミーの公演が同所であった。『蒼き月影あつまりし夜』という作品だ。この劇団は、カーテンコールで客席に竹輪を投げるのが恒例である。その時の一本が格子の上に乗っかっていたのだ。ネズミもここ迄は辿り着けなかったらしい。中島らもが食品会社の広告の仕事をしたのがそもそもの始まりだったと聞く。

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 悪臭は兵器級だった。陰謀説まで浮上した。いくら拭いても飛散して絨毯に染みついた元竹輪は存在を誇示し続けた。プロデューサーの判断で芳香スプレーの大量散布で対応した。ローズ・ジャスミン・ラベンダー

‥‥。むせ返るような花の匂いが劇場に充満した。花々は眠るどころか繚乱である。匂いを感じてこれを演出だと思った人もあった。

 プロデューサーは奇しくも幼少の折、その食品会社のイメージキャラクターのモデルだった。昨年品質期限改ざん事件を起こしたのはこの会社だ。件の竹輪の賞味期限が切れていたのは間違いない。この因果の巡り様は渡辺えり子の世界に通じるものがある。
 竹輪を笛にして演奏する芸がある。鳥の音を奏でる笛にまさか竹輪が嫉妬した訳でもあるまい。小劇場は五感を刺激する。


(悲劇喜劇 2003年8月号より/特集=小さな劇場の栄光)