■ 照明家への提言 『失学園』

■ 電工時代

 若い頃に電工として数年間働いていました。弱電が主です。弱電というのは、100V以上の強電に対して、放送や電話などの低電圧を取り扱います。現場は新築なら工事現場、既築なら大小店舗です。当時は高度成長の真っ只中、一月の残業時間が100時間を超えることもざらでした。

 工事現場の環境は過酷です。とりわけ鉄筋コンクリート造では、夏は灼熱、冬は厳寒。まさに3Kを地で行きます。30数年前は尚更でした。リフトは普及しておらず、工具と資材を担いで高層階に上るのは大変でした。幾度か危険な目にも合いましたが、大怪我を免れたのは幸いでした。

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電工 (ダウンライトの穴開け)

tekkinkou鉄筋工 (コンリート打設前の床の配筋の上に立つ)

 建築の工程は、基礎工事から配筋→配管→型枠→コンクリート打設→設備→内装と進行します。電工の仕事はほぼ全工期にまたがります。先ず仮設電源の敷設をし、コンクリートを打つ前に配管をします。そして通線して、設置した機器に結線。動作確認と点灯確認をして引渡しとなります。

 竣工までには何十何百という職種が絡みます。職人を観察すると一定の法則があるのが分かります。それは工期の序盤に入る職種ほど気性が荒いということです。最も荒いのは鉄筋工や型枠大工。左官や塗装工は中位です。これらに比べ終盤に入る絨毯屋などはおとなしいものです。喧嘩の強さもこの順序に比例します。鉄筋工の武器は鉄筋棒です。これには敵いません。ある時鉄筋工に立向かった電工がいましたが、それは元鉄筋工でした。

■ 舞台音響の世界へ

 そんな私がどうして舞台の仕事をするようになったかは——大きく省略して。
電工を止めて10数年後に日本舞台音響家協会に入りました。
ある時、協会の機関誌の連載企画案を出しました。

 題して「失学園」。。。?
過去の仕事上の失敗を具体的に上げて、そこから学ぶという趣旨です。
関係者に失礼のないように (時には失礼して)、その原因と対策を論います。
謙虚な態度で、笑いいながら!? 教訓を得ようという目論見です。

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失楽園

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『殺しの烙印』

●事例 1「ヒロイン腹痛死事件」
 ・とき:197X年12月
 ・ところ:浅草木馬館
 ・現象:大団円で女優が長台詞の後、腹を押さえてうずくまる。
 ・原因:鳴るはずの銃声が鳴らなかった。
 ・経緯:オペレータがオープンテープ再生機の一時停止による頭出しの確認を怠る。
 ・教訓:オペレータの失敗は取り返しがつかない。

●事例 2「盗電許すまじ」
 ・とき:199X年7月
 ・ところ:池袋 西武百貨店屋上
 ・現象:スピーカーから一斉に連続的なノイズが出る。
 ・原因:音響電源に繋がれた3台の炊飯器による電圧降下。
 ・対応:制作班に「ご飯は食べたいが、盗電は困る」と申し入れる。

●事例 3「内憂外患」
 ・とき:199X年5月
 ・ところ:新国立劇場 小劇場

 ・現象1:上手奥からの出音がいつもより小さい。
 ・原因:舞台袖の足音や物音の客席への漏れを低減すめために、
     演出部が袖パネルを合板で補強。
 ・対応:音量音質を再調整。「そういう時は伝えてね」と申し入れる。
 ・教訓:ある行為が他の部署に影響するという認識が大切。
 
 ・現象2:本番中にパソコンの起動音が場内に響き渡る。
 ・原因:技術ギャラリーにいた照明スタッフがノートパソコンを起動。
     慌てて閉じるが既に手遅れ。
 ・結果:隣にいた演出家からにらまれ、他のスタッフから疎まれる。
 ・教訓:本番中に他事をしない。

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ピンスポットルルーム

 この企画は、日の目を見ませんでした。協会あるいは業界全体への信頼感を損なう畏れがあるというのがその理由です。確かに失敗の多いスタッフに、仕事を頼みたくはありません。

 周知のとおり、建築と同じように舞台作りにも工程があり、多くの職種が絡みます。聞くところによると、舞台照明家には元鳶職がいると言う。先の法則によればこれは手強い。喧嘩するなら舞台監督協会の方か。こちらは元菓子職人や寿司職人だ。残るは舞台美術家協会であるが、こちらは転職組は少ないようだ。すると皆元美大生か。得体が知れない。

tobi鳶職 (足場の組立)


(LDC-J ジャーナル  Vol.11  2013年秋–冬号より)


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